アイコン

うしろ

2020, 女性, 身体的虐待・ネグレクト

道のりのタイトル


ずっと心が辛かった、愛して欲しかった

家庭状況や脱出の背景


父は仕事が忙しく殆ど家に帰ってきませんでした。母はキレやすく毎日気に入らないことがあると直ぐに拳で殴ってくるか、足で私たち兄弟の中の一人を踏みつけ兄弟の誰かが泣きながら「止めて!止めて!」と母の足にしがみついて止めようとしていたのをよく覚えています。母は私たちと目を合わせて話してくれた事はありません。学校であったことを話してもいつも上の空、殆ど無視状態でした。

これから逃げ出す人へのメッセージ

一度親と話し合いをしてみて自分のあの時の感情を吐き出した方がいいと思います。それでも親が否定してきたり聞く耳を持たなかったりするならば逃げ出す準備をしていったらいいと思います。

逃げ出すまでの道のり

👪

父親または母親

#全て

#味方

#悩み

自分が辛かった事をやっと話す事が出来た

両親に自分が辛かった事を30代にしてやっと話す事が出来ました。きっかけは自分に子供が出来た事です。自分の子供を育てながら、何故自分の両親は虐待を行ったのかとても不思議でした。子供とというのは本当にこんなにも可愛いはずなのに、どうして…と考えるといじめられてた頃の事を思い出してまた辛くなりました。両親と一度話し合って気持ちを聞くのが一番早いと思いました。直接は会えなかったので電話で話してみる事にしました。母の声を聞いた途端悲しみが溢れて涙が出てきて子供の様に泣きじゃくりました。母はごめんとは言いませんでした。しかし、母も父が仕事が忙しく育児を手伝ってくれなっかこと、そして義理母(自分にとってはおばあちゃん)にいじめられていた事でイライラを子供たち(自分たち)に向けていたという事が分かりました。そのような話を聞いて、母だって初めは子育て初心者であって戸惑いもあった中あのような行動をしていたんだと自分なりに納得出来ました。しかしながらやってはいけないことを母はやってしまったのは許される事ではありません。けれども電話をして以来ちょくちょく母から電話が来るようになりました。内容はたわいのない事ばかりですが、母なりに反省してくれたのかなと今では思うようになりました。ここまで30年以上かかりました。本当に長かったです。