道のりのタイトル
初めてぶつけた憎悪
家庭状況や脱出の背景
母、義父共に虐待やハラスメントの煮凝り。加害の全てが詰まってる。奴隷のような小学生~高校生時代。ゴキブリ以下、お荷物だと言われ殴られ、食事も与えられず機嫌を伺いながら病んでいき、自傷の痕を見た義父に死にたきゃ早く死ねと言われる。高校を出たら家を出ると決意。しかし母は過干渉子供依存(私がヤングケアラー)モラ+DV親。19歳の時義父に「お前のせいで私は男を愛せない」「憎くて仕方がなかった」「ここにいたら気が狂う」と今まで一度もしなかった反抗をした。淡々と、冷静に憎悪をぶつけ、翌日、喧嘩になり家をボストンバッグひとつで追い出されました。そこから「家には戻らない」と決意。何があっても実家に帰らず、何が何でもそれを続けていた。2018年末に戻らなくてはいけなくなった。過去の憎悪、その上で患った病、して欲しかったこと、愛されたかった事、普通の家族でいたかった事を全て改めて両親に話す。義父は虐待を認め泣きながら謝罪。これからは父親として守ると約束をしてくれた。母は虐待を否認、逆上。( 現在も毒親のまま。義父とは母親面倒臭い同盟を組んでいる)2019年4月、仕事の過酷さと実家からの通勤で30kg痩せる。家からでて、友人とルームシェアする事を母親に優しく話し29歳にしてやっと「実家」から脱出。
逃げ出すまでの道のり
音信不通にする
#全て
#準備
未成年だったのでうまく身動きが取れず
追い出されてから8ヶ月間一切の連絡を断ちました。
個人的にはストレスフリーでしたが、何をするにも未成年という壁があり、身動きが取れない場面が多く、私の場合は性風俗の寮で生活費を稼ぐぐらいしか出来ませんでした。
そして別の意味で病みました。
同棲
#大学生
#成人
#一人暮らし
#準備
両親が手を出して来なくなった
恋人(同性)との同棲を始めました。問答無用で家に引き戻されない大きな理由でした。私の場合、この恋人というのが高校生から交際している女の子で、私の実家に卒業後職場が近いという理由で、出ていく日までシェアルームしていた事もあり、両親は手がだしにくかったのかも知れません。
自分が病み過ぎて生活面では決して安定していなかったので、恋人には大きな負担になってしまっていたと思います。
心療内科
#全て
#悩み
#心身
薬の量が合わずODするときも
自分の状態を把握するために心療内科を受診。
複数の精神疾患が浮き彫りになり、薬を処方される。
今では薬の量は決められているが、昔は大量に処方されてしまっていた、(一日14種類とか)そのせいでODなどの自傷行為に繋がっていた。
距離を置いた人間関係
#全て
#準備
自然と適度な距離があくように
自分がどこで何をしているか知らせない。
分からないというのが一番良かったかもしれません。
同級生とも距離をあけていましたし、実家からは来にくい場所に引っ越していた事もあり、自然と適度な距離があくようにはなりました。(電話での干渉はあり)