
志恒
2021, 女性, 心理的虐待
道のりのタイトル
死ぬことすらできなかったよ
家庭状況や脱出の背景
高校がブラック企業のような場所で、週休1日、多すぎる課題、毎日飛ぶ怒声と暴力、笑っていると怒られるので笑うことが出来なくなった。それが辛くて母親に言ってみたけれど「私だって部活で12時間学校にいるなんてザラだった」などと辛さを全くわかってくれなくて、毎日「お前なんか何が辛いんだよ!甘えんのもいい加減にしろよ」と詰られた。家にも学校にも居ていい場所がなくてコンビニの裏の路地で泣いていた。あまり帰りが遅くなると「こんな時間まで何してたんだ、受験生の自覚が足りないんじゃないのか」と言われた(母親と教師にとっては高一から受験生)。自殺しようとした日、母親に兄を呼ばれて力づくで引き戻されたことを思い出した。「許せない、意味がわからない」とだけ言われて、「自分は死ぬことすら許されていないんだ」と思ったのをよく覚えている。すごく辛くて家を出て1年経った今でも人に自分のことを話せないし上手く笑えない。母親には「あの時はごめんね」みたいな手紙を貰ったけれど今でも平気で酷い否定をしてくるので自分の何が悪かったのかまったくわかっていないんだと思う。私の家庭は心理的な虐待だけだったけれど身体的虐待やその他が加わったらどうなるのだろうと考える。私は死んでいただろうなと思った。何もかもどうでも良くてこのまま死ぬまでここにいようかとも思ったが大学合格を機に県外へ逃げたりあのまま実家にいたらきっとあの時死のうとしたビルからとっくに飛び降りているだろうなと思う。 今は私が鬱病だと伝えたら家族が腫れ物扱いしてきて笑ってしまった。これは過保護過干渉の家にありがちだと思う。絶望を突きつけて申し訳ない。
逃げ出すまでの道のり
離れた大学に進学
#高校生
#一人暮らし
#準備
親の条件を満たすために猛勉強
国公立の大学に進学することで初めて人権が得られる家だったのでその条件を満たす大学に合格した。ほぼ毎日徹夜していじめられ泣きながら一日を過ごしたがあのまま家にいるよりはマシだったと思う。