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きいた

2003, 男性, 身体的虐待・心理的虐待

道のりのタイトル


自分の人生は自分のもの

家庭状況や脱出の背景


自分は亭主関白だと思っていたかもしれないが、必要以上の束縛や自己顕示欲が強く、何か気に入らないことがあると怒鳴りながら説教、殴る〔母親と自分に対して〕の繰り返しでした。当時高校を卒業し大学へ進学しましたが、その年齢になってもすべてのことに対し干渉を止めなかったため家を出ました。

これから逃げ出す人へのメッセージ

虐待親や毒親といると抜け出したい、環境を変えたいと思っていても住んでいる場所、周りの環境によってなかなか行動に移せなかったり日々に流されてしまうことは経験者として重々分かります。ただ経験したからこそ言えることは自分の人生を大事にしてください。貴重な自分の時間をそんな人間のために無くさないでください。大丈夫、そんな親がいなくても生きていけます。

逃げ出すまでの道のり

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友達

#全て

#悩み

#味方

同じような境遇の同級生と話をする

電話カウンセリングのようなサービスを利用しようと思ったことはありますが、小学校当時は家電しかほぼ連絡手段はない環境であり、また自室で同級生と少し長電話をしようものなら父が怒鳴り込んできて〔小学生のおまえが何をこんなに長電話することがある!〕と強制的に電話を切られるようなこともありましたので、利用した後を考えると手が止まり活用することが出来ませんでした。中学校に入学してからは父親に対して同じような境遇の同級生がいたのでお互いに今までの経験談や直近で起こったことを話し合うことで気を紛らわせていました。なので自分で解決できる事柄ではないと始めから諦めていた部分はありました。

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一人暮らし

#大学生

#成人

#一人暮らし

#準備

もうこの家にいる意味がないと思い家を出る

父は初めから身体的・精神的虐待をしていたわけではありません。母自身からまたは母の妹からも〔昔は優しくて...〕といった話は聞かされていましたし、実際まだ〔父〕として認識していた時期もありました。ですが私が小学校になったあたりからは私とは母に対して怒るではなく怒鳴り叩く、殴るという状態で正座させ30分から2時間の説教は当たり前で父が風呂に入っている間ドアの前に立たされたまま説教を受け、終わった途端に開放された安堵感からか気を失い倒れた事などもありました。そんな状態が何年も続き、DVの度合いも干渉・束縛も年々ひどくなる一方でこんな生活は嫌だと母に何度も離婚をお願いしましたが、母は経済的な事を理由に離婚は出来ないと私が高校になっても状態は変わらなくもうこの家にいる意味がないと思わされる出来事があったため18歳の時、家を出ました。