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greatkoji

1998, 男性, 心理的虐待

道のりのタイトル


地獄に甘んじていた中学時代。親族の中には頼りになる人もいるはず。

家庭状況や脱出の背景


酷かったのは中学時代からです。 友人が来ても「学校で友達がいないから先生の指示で(クラスメイトが)来たんだろう」 ストレス性の胃腸炎になってしまった時も「どうせウソ」、穢れた血、一番出来が悪いとも言われました。 あまりに暴言、陰口が酷かったので親族が引き取ってくれました。

これから逃げ出す人へのメッセージ

心にぐさりと刺さる心理的虐待は決して心配で言われているものではありません。 私は中学時代が酷かったのですが、フラッシュバックは30過ぎまで続きました。 早く逃げださなければ後遺症も続くものになってしまいます。

逃げ出すまでの道のり

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学校の先生

#小中学校

#高校生

#大学生

#悩み

#味方

先生に相談したが、何かあったら言ってで終わった

今から30年近く前の話しです。両親が離婚して父に引き取られました。兄弟は姉がいましたが、姉は母に引き取られました。 離婚以前はそうでもなかったのですが、やがて父からの暴言が目立つようになりました。私がいない所では祖父母に対し、特にその傾向が強かったようです。 相談する相手は家庭内にはおらず、学校の先生に相談しました。しかし、先生は家庭環境についてはそこまで介入できるような雰囲気ではなく、「何かあったら先生に行ってくれ」というにとどまりました。何かあったから先生に言ったのにも関わらず、なにもしてくれることはありませんでした。

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父親または母親

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#味方

#悩み

母に相談し叔母の家に引き取られることに

母とは電話で話をする機会がありました。父の暴言は母も承知していたようで、私の声から明るさが全く消えていたことを感じてくれていました。やがて手が出ることもあるだろうと察していたようです。 しかし母が直接何とかすることは立場上難しい(距離的にもかなり遠方でした)状態でした。しかし、母は父の姉である伯母とは仲が良く、離婚後も連絡を取れる状態にあったようです。その母が叔母に連絡をしてくれて連れ出してもらえる結果になったようです。私は転校し、引っ越しなど生活環境で色々と大変な時期を過ごしましたが地獄のような中学1年当初の時期からは考えられない穏やかな時期を過ごすことができました。

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叔父・叔母

#全て

#悩み

#避難

#味方

叔母の家で平穏な暮らしを手に入れる

母からの連絡があったと思います。その当時の大人たちのやり取りは今や分かりません。 詳しく教えてもらうこともなく、皆他界しています。 当時の時系列は夏休み中、父の不在時に突然伯母がやって来て、私を連れ出してくれました。「転校するからね」の一言でした。 何のことやらわかりませんでしたが、その後は叔母の家で過ごすことになりました。 地獄のような父や祖父母の心理的虐待は尾を引くことになりましたが、その時点でピリオドを押すことができました。 あの時そのまま父や祖父母と暮らす時間が長いと恐らくですが私はぐれていたか、何らかの死を考えていたかもしれません。死に関しては自死に加え、相手に対する死も含まれます。