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ポテチ

2018, 女性, 身体的虐待・心理的虐待・性的虐待

道のりのタイトル


自分勝手上等

家庭状況や脱出の背景


とにかく自分の幸、不幸しか考えられない親でした。自分の不幸は周りのせい、あいつが幸せなのが許せない等々。 幼少期から身体的・肉体的暴力はありましたし、私の着替えや入浴を覗く等の嫌がらせもありました。 自分より幸せな人の存在が疎ましい、私の苦痛に歪む顔が見たいなど露骨な発言も多々あったので、私もそんな人を親だとは思えず、同じ家で生きていくのは無理だと思っていたので独立することを昔から考えていました。

これから逃げ出す人へのメッセージ

虐待などの経験がない周りの人たちは、あなたのことを「親不孝者」「薄情者」「自分勝手」などあれこれ言ってくると思います。でも気にする必要は全くないです。だってその人たちは、あなたのこと助けてくれませんから。とにかく自分の身の安全を確保することを最優先に考え、後のことはその時になってから考えれば良いのです。

逃げ出すまでの道のり

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児童相談所

#小中学校

#高校生

#一人暮らし

#団体

友人がスクールカウンセラーを通して児童相談所に通告してくれた

高校受験シーズンになると、生徒だけではなく親や周りの人も何かと気を張る時期です。 当時私も学校・部活動・塾・家をせわしなく行き来し日々の生活を送っていました。親も相変わらず暴力暴言の嵐でしたが、この時期は特に過激だったように思います。食事を抜く頻度が増え、これまでは見えない位置に痕が残らない程度の暴力だったのが、場所も選ばず青痣が残る程に叩かれるようになりました。私自身、日々の生活で精神的に疲弊していたのもあり、抵抗する気力も起きず学校では髪がボサボサ、食事をろくに与えられずフラフラ、自傷でボロボロの腕を隠す余力もなく、ただぼんやり過ごしていました。 当時いつも愚痴をこぼしていた友人はすぐ異変に気付き、スクールカウンセラーを通して児童相談所に話が行き、その日の内に一時保護所へ世話になることになりました。 これが初めての一時脱出でした。 受験生なこともあって、一時保護所には一週間だけ滞在しました。

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無料電話相談

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#悩み

電話相談でストレスを誤魔化す

その後は電話でのカウンセリングを公衆電話で利用したりして、自身のストレスをコントロールして乗り切っていました。しかし電話カウンセリングは、電話相手との相性もあるので、結局ほとんど利用していません。 そんなこんなで自分のストレスを何とか誤魔化しながらやり過ごした中学生時代でした。 この時ですね、親を捨てると固く決意をしたのは。

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距離を置いた人間関係

#全て

#準備

相手を傷つけず自分も傷つかないように

中学生時代の色々な出来事を経て、かなり精神的に疲弊しており、新しい環境で新しく交友関係を広げて青春を謳歌するといった元気が微塵もなかったため、友達を一人も作らず学校行事でも最低限度未満の関わりしか持たないようにしていました。 そこまで徹底して人を避けるのかと思われるかもしれませんが、友達を作ってしまうと、少なからず相手に気を使わなくてはならなくなるし、当時の精神状態では絶対相手に八つ当たりをして傷つけてしまうのは自分自身でよく分かっていたので、相手を傷つけず自分も傷つかない疲弊しない手段として、人と必要以上に距離をとることを選びました。 そんな状態で特に大きなトラブルが無かったのは、高校三年間クラスメイト達の雰囲気がよく全員が和気あいあいとしていて、良い意味で他人に無関心でいてくれて、私の周りの環境がたまたま恵まれていたおかげです(家では相変わらずでしたが)。 あの誰とも関わらない、誰にも気を使わなくてよい期間があったからこそ、卒業前に疲弊した精神を回復させることが出来ました。 そして、「関わらない」を徹底したのは学校だけではありません。 独り立ちするにはまだ期間があるので距離をとれない、しかし既に見限ることに決めた親相手に以前のように振舞うことも出来ないし不快。そこで私がとった行動は、徐々に距離を置くことでした。あまり露骨に距離を置いて相手に気取られるとまた暴れられるのは目に見えていたので、親子に見える最低限の会話、距離感、外出頻度に気を使いやり過ごしました。その成果ともいえるのか、暴力の頻度が以前よりも減ったと思います。

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外泊

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#避難

夜に親が暴れたらネカフェに泊まる

大学生ともなると、必然的に忙しくなり帰宅も遅く、そこからアルバイトがある日は、食事して寝に帰るだけの家になりました。 つまりわざわざ距離をおこうとアレコレ対策せずとも、親から離れられる環境にありました。しかし、それでもちょっかいを出し邪魔をするのが毒親というもの。学年が上がり外部の実習や試験対策に追われる忙しい時期にまた暴れ出しました。でも中学・高校時代と大きく違ったのが、私が成人したという点です。 成人さえしてしまえば、夜に出歩こうが外泊しようが補導される心配もなく自分が責任をとれる範囲で好き勝手やりたい放題出来ます。なので私は、夜に親が暴れれば時間関係なく家を出て、ネットカフェやホテルに泊まり、そのまま学校へ向かうといった我が儘生活を送りました。当時は国家試験対策のための勉強や資格のための学外実習、そして就職活動もあったので、昼間は就職活動や学校で授業を受け、夕方は学校のPCで実習のレポートを作成し、夜はネットカフェで試験対策の問題集を広げ、外泊の事後報告をして眠り、休日はアルバイトで一日を終えるといった生活を送り、親と全く顔を合わせない日が当たり前に存在するようになって、未成年の時ではありえなかった距離の取り方を実現できました。 忙しさによる疲弊よりもうれしさが上回り、この時が私の人生で最も忙しく、最も楽しい日々だったと言えます。 そしていよいよ卒業。就職先はすぐ社宅を借りられるところを選んだので、もう行事以外では顔を合わせることもないとすっきりした気持ちで、実家での最後の数日間を過ごしました。社宅に移るまでの最後の一週間ぐらいがまた苛烈で、「これまでお前にためてきた金は渡さない」「お前が出た後部屋のもの全部捨ててやる」「不幸になれ」等々香ばしい発言がありましたが「いりません」「ご勝手に」とこちらも無関心対応をとり、そうして私は無事脱出を果たしたのです。