はな
1994, 女性, 身体的虐待・心理的虐待
道のりのタイトル
辛い出来事でしたが、祖父・父・母を教訓とする
家庭状況や脱出の背景
祖父がアルコール依存で、毎晩色々な人の悪口を大声で言いながら、近所を歩き回っていました。母が連れ戻しに行く日々でした。そのうち父もストレスからアルコール依存になり、母のはけ口が私だったのだと思います。 物心ついた時から、晩御飯は祖父抜きで、キッチンがあるのにキッチンでは食べず、二回の自室で食べる日々でした。夕方になると、毎晩祖父は飲み歩き、大声で悪口を言いながら歩き回るからです。そのうち、父もアルコール依存になってしまいました。父は優しすぎる性格で、仕事や人間関係のストレスから癌にもなったこともあり、お酒がやめられなくなっていました。精神科病棟に入院も何度かしています。そんな中で、母は私に言葉の暴力と身体的虐待をするようになりました。母も辛いのだろうとは思ってはいましたが、私も辛かったです。何度か自殺も考えましたが、妹や弟もいるため(妹と弟は虐待にはあっていません。)、守らなければという思いでした。
逃げ出すまでの道のり
叔父・叔母
#全て
#悩み
#避難
#味方
相談はできたが助けを求めることは躊躇してしまった
その当時は今のようなサービスや団体、相談できる電話などはなかったと思います。あったとしても、田舎なので、情報が途絶えていました。両親・祖父は当事者なので相談できず、祖母は家に帰らない人だったこと、妹や弟はまだ小さかったことから、家族には相談できませんでした。そのため、信頼できる親戚の叔母に相談をしていました。初めは母の虐待に驚いていましたが、よく私の家に来てくれるようになり、現状が分かりだしたようでした。ただ、週に何日か泊まりにくればということを言ってくれましたが、弟と妹を残しては行けず、断ることにしていました。叔母から母に言おうか?と言ってもくれましたが、余計エスカレートするかもと思い、それも断りました。
離れた大学に進学
#高校生
#一人暮らし
#準備
県外の大学へ脱出
母からの虐待が私だけだったことに、少し妬みを感じたりもしましたが、妹や弟がうけなかったこと、今から思えば良かったと思います。叔母への相談やアドバイスも、今なら受けておけばと思っています。そうすれば私の10代は変わったかもしれません。「死んで」「ブス」「役に立たない」等と言われながら、顔ではなく足や腕をひねったり、蹴ったりされました。祖父が亡くなり、父だけがアルコール依存になると、少し母の虐待がおさまってきましたが、気持ちの揺れ・起伏が激しく、父にばれないように母はうまく私をはけ口にしていました。妹や弟はずっと受けなかったので、そこは安心できるだろうと思い、大学で県外を選び、実家から脱出に成功しました。