遅すぎた脱出
2019, 男性, 身体的虐待・心理的虐待・ネグレクト
道のりのタイトル
我慢して逃げられなかった者の末路
家庭状況や脱出の背景
まず、幼稚園の時に親の起業に伴い千葉県の西北にある田舎に引っ越してきた。初めはお金もなかったので、近所の農家の家が捨てた野菜を拾いに行くような貧しい生活であった。両親とも夜の10時過ぎに帰ってくるという生活で、正直子供心に何故家に誰もいないのだろうというのはいつも思っていた。
逃げ出すまでの道のり
叔父・叔母
#全て
#悩み
#避難
#味方
叔父の家に預けられる
高校に入って一時期親戚の家に預けられた。預けられた先で母親の悪口を散々聞いて病んだが、この時は何をしでかしたのかという事になると、おじさんが制止してしまい、確信までは聞けなかった。 私は自分の親がクズなのは知っていました。
親の友達
#全て
#悩み
#準備
事実を知ってしまう
ちょうどその2017年頃に母親の友達という同類のクズ婆から、酒の席でアイツが当時不倫をしていたこと、その相手が誰か、それを自分が諫めて、戻してやったという自慢話を聞かされました。 ここで、当時の喧嘩の理由や親せきの家で受けた事の裏が図らずも取れてしまいました。 正直ウスウスは気づいていましたがはっきりと確証の持てる証言を得られたのは、これが初めてでした。 アイツがクズなのは知っていましたが単純に起業の大変な時期を共に乗り越えた共有すべき苦い記憶くらいにしか思っていなかったものが憎悪へ変わった瞬間でした。しかし、私は会社の事もあるため知らないふりを続けました。
結婚
#大学生
#成人
#準備
#一人暮らし
孫を抱き上げる事もしない
その後結婚もし、子供も出来ましたが、孫を抱き上げる事もしない。孫の顔を観に来もしないそんな奴だったことはわかっていましたが、やはり我慢しました。
警察
#団体
暴行事件を起こす
挙句の果てに過労状態で仕事をしている人間に対してお前は仕事をしていないといういちゃもんをつけて1を間ほど詰問され続けることとなり、最後にアイツの命令で入ったが自分を育ててくれた団体を辞めろという言葉で我を忘れぶん殴りました。あとは、私は懲戒免職で首になり、あいつは警察にも訴えた始末、はっきり言って殺してしまえばよかったとその時は思いましたが、残念ながら社会的な地位もある状態のクズに警察も味方しているため、状態としては最悪としか言いようがないです。 もちろん初犯でいしたので、罰金刑程度で済みましたが、更に私の財産まで不当に処分していたことがすぐにわかりました。 在職中も勝手に私の通帳から金を抜いていたりと本当にクズでしたが、この事件をきっかけに無事にアイツから逃げることに成功しました。 私より3年ほど前に理不尽に耐えかねて逃げた弟の方が優秀だった様に思います。
裁判所
#全て
#手続き
情状酌量野余地はなかったが今は家庭をもち幸せに
検察にも何度か呼ばれました。検察官もまるで悪者を観るかのような顔と言動だったことを覚えています。情状酌量の余地はないとのことです。本当に司法というものも私は納得いかないものが多々ありますがぶん殴ったことは事実ですので粛々と刑を認めました。本当にこの国にもがっかりしております。最後に「君は何をしたいんだ」という胸糞の悪い事を聞いてきたので、アイツから離れたいという事を言った覚えがあります。 アイツから離れて3年経ちますが、人生で初めて、まともな白血球数の値が出たことやグッスリ眠れるようになったこと、子供の笑顔がとても愛らしい事を踏まえて、本当に離れられてよかったと思っております。一歩間違えば殺していたかもしれない事を考えると想像したくありませんね。あんなののために人生をダメにするところでした。