nico
2014, 女性, 心理的虐待
道のりのタイトル
絶対大丈夫。大丈夫。大丈夫。
家庭状況や脱出の背景
スケジュールを極端に管理されたり、家族の予定(宗教活動)は友達や学校行事より優先させなければなりませんでした。 家の中に自分の部屋も存在せず、私のプライベートはどこにもありませんでした。 我慢できないほどの頭痛や肩こりに悩むようになったことをきっかけに、環境を変えたいと強く思うようになりました。
逃げ出すまでの道のり
父親または母親
#全て
#味方
#悩み
宗教活動に付き合わされた
小学生のころ、両親が離婚しました。 兄弟3人(私・弟2人)は母親に引き取られました。 私が小さかったこともあり、ずっと暮らしてきた家が恋しくなってしまい、母親に何も言わず父親の家に帰ってしまいました。その後私についてきた真ん中の弟と父、父方の祖母と4人の生活になりました。 私の祖母は熱心な宗教活動員でした。父は仕事でほとんど家に帰ってきませんでした。 中学生になると、毎日朝晩30分ずつ、仏壇の前でお経を唱えなければなりません。 少しでも足を崩したり、声が弱くなると、横のふすまがあき、罵倒される毎日です。
宗教
#全て
#心身
宗教活動を友達は受け入れてくれた
なぜが弟は中学生になっても高校生になっても、仏壇の前に座ることはありませんでした。 私は気づきました。私だけに厳しいんだ、と。 夏祭りに行くと20時からの花火の前に電話がかかり、今すぐ帰ってこいと怒鳴られました。 遊びに行く度、友達と楽しんでいる時間を邪魔されること、場の雰囲気を悪くしてしまうことの申し訳なさに、友達の誘いも断るようになりました。 部活でいい成績を残しても勉強を頑張っても、弟しか褒められず、もどかしい毎日でしたが、 仏壇の前に座ると褒めてもらえることに気づきました。 宗教活動だけがわたしの居場所になりました。 高校生になり、私は友達にも平気で勧誘活動をするようになってしまっていました。 運がよかったのかそれをきっかけに私を差別するような友達はいませんでした。