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もな

2018, 女性, 身体的虐待・心理的虐待

道のりのタイトル


15年間耐えてやっと地獄から抜け出せた

家庭状況や脱出の背景


子どもの頃は後天性の発達障害(この時点ではまだ知らなかった)で数も数えられなく、できなかったら叩かれたり、風呂に裸でずっと閉じ込められたりしていました。その後落ち着いてくれたが、「ここまで育てたの誰のおかげだと思っているの」と言って自分の恋人のプレゼントの購入や将来のことなど押し付けてきました。

これから逃げ出す人へのメッセージ

私は家族と縁を切って今とても身が軽くなり幸せな生活を送っています。 自分以外は他人なので、自分を信じてこれからのことを考えてください。

逃げ出すまでの道のり

👴

祖父母

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#避難

#味方

祖母は優しかったが同じようにDVを受けていた

実親が離婚した後、母が恋人を作ったが、DVと性暴力が毎晩あり、トラウマだった。壁は穴だらけで、床は散乱したおもちゃは血がついていた。しまいには男は包丁を振り回してきた。母もストレスで私に身体的暴力をふるったり、私の発言全てにイライラしていた。なので、私は、祖母の家に避難していた。祖母は私に優しく接してくれた。しかし、祖母の家も叔父が祖母に暴力を振るっていたことが多々あり、祖母も大変だった。なので、母の家のことを聞かれても、元気に「全然大丈夫!楽しいよ」と嘘をついて過ごしていた。保育園にも誰にも何も言えず、ずっと笑っていたので、常に笑顔が習慣付いていた。

👜

家出

#全て

#避難

家出をして脱出を覚悟

DVの恋人から逃げて新しい父もできた。私は男性が怖くて新しい父も怖かったが、笑顔で過ごしていた。そのせいで、母が、私が新しい人と仲がいいと思って、「父になるけどいい?」と言ってきた。私は本当とても嫌だった。なぜ今までDVを受けてきたのにまた男性と過ごすのかわからなかった。しかし、私は否定できず了承した。しかし、しばらくして男がいる生活(暴力はしていなかったがスキンシップが多かった)が辛くなり、家出した。夜の5時から10時まで自転車で逃げたが、警察に補導され家に戻された。その時将来絶対家を出ると決めた。

🏥

精神科

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#心身

ストレスの原因が母だったが言えなかった

思春期もあって、ストレスで過呼吸が続いた。肺も弱くなり、風呂に入るとき蒸気で呼吸がしんどくなった。風呂で倒れたこともあった。1日中肺がつらくなり、まともにご飯が食べれませんでいた。病院に行き、精神科を勧められたが、母も一緒におり、ストレスの原因が母も含まれていたので言えなかった。しばらく通院して点滴の生活を送っていた。学校も途中登校ばっかしていた。学校が一番安心して自分を出せる空間だった。家にいるときは基本部屋に引きこもって友人と通話したり、チャットをしていた。結局カウンセリングも薬もなんも意味もなく、自分自身でストレスから断ち切った。

🏫

離れた大学に進学

#高校生

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#準備

受験勉強を頑張り幸せな生活を手に入れた

大学に行くなら有名校出ないと周りからチヤホヤされないという理由で有名な大学を調べ志望した。1年半ずっと毎日睡眠時間も食事の時間も削って勉強していた。夜中には精神が乱れ泣いたりしていたが、なんとか志望校に合格した。とても嬉しかった。この家庭からやっと離れられると思ってすごく嬉しかった。事情を知っている友人もとても喜んでくれて「おめでとう」と言ってくれた。母と今の父の間に生まれた妹もこの家を出たいと言っている。私と妹は仲がいい。私と同じく、大学でこの家を出るまで耐えなさいと言っている。しかし、本当に辛くなったら私の家まで逃げればいいという言葉を残して家を出た。 親のいない生活がこんなにも楽なものとは思わなかった。親は共働きで家事などもしていたので一人暮らしの生活は全く苦に感じなかった。今私はとても幸せです。